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震災瓦礫の受け入れで、各地で子供に影響が出るかもしれなという理由で反対をする親が沢山いる。
だが、本当に考えてほしい。
このまま瓦礫が処理されず、美しかった東北がいつまでたってもこのままの状況であることを子供に見せ続けることと、国民皆が協力しあって東北を元に戻そうとする努力を子供に見せること、どっちが精神的に尊く、子供に対して良い影響が与えられるかどうかを。
そう言うと、それとこれとは別と言う人がいる。何が別なのか説明してくれと思う。
東北は基に戻したい
↓
じゃあ、瓦礫どうにかしないと。
瓦礫受け入れて?
↓
やだ
↓
東北基に戻したいんじゃないの?
↓
戻したい
↓
じゃあ(以下ループ)
だって、こういうことじゃない。
一般の人で誰かが負担しないとって口にする人ほど、それって自分の負担じゃなくて、自分じゃない誰かの負担なんだよね。
それに、福島の放射線が怖いだの不安だの言い続けることは、不の言葉であるのだから、良い言葉よりも子供に影響していることを理解したほうがいい。
そういうのに鈍感な人って、福島から非難した子供が、放射能菌が移るから寄るなっていじめられたこと知らないんだろうなと思う。
なぜそんないじめが起きると思う?ニュースで連日言ってるから?
違うよ。
親が、そうやって言ってるからだよ。
うちの子に限ってとか、そういう親は、自分の言動も見返せないし、子供のこと分かってないとしか言いようがない。
じゃあなんで、福島の放射線と、福島の子供が繋がるんだってなる。
福島の放射線=怖い。福島=怖い。怖い福島から来た子供。になるんだよ。
自分が子供だったとき、小学校や中学校で、○○菌がつくだとか、○○は汚いだとか、そういったいじめが本当になかったか思い出してみればいい。
今のように放射能だの放射線だの明確な対象がないにもかかわらず、ばい菌いじめは昔からある。それなのに、今の子供にそれをするなというのは、無理な話だ。
決めたら決めたで説明が不十分といい、決めきれないとリーダー力がないと言われる。
自分は今済んでいる地域に処理場が出来ると決まったとしても、特に反対はしない。
なぜなら、結局誰かがやらなければいけないし、キレイな東北を早く取り戻したいと思うからだ。
生き物なんぞ死ぬために生まれてくるようなもので、何をしようとも結局死ぬ人間の都合で、この先も残っていく自然が取り戻されないのは、我侭であり傲慢であろうと。
影響がないといわれている瓦礫を拒否し続け、東北がいまだに瓦礫の山であることが本当にいいのかどうか、子供を理由にせず、自分自身は本当にいいと思っているのかどうか、考えて欲しい。
*****
ただそこに"人間”という余分が入るがために、そのままの状態にしておけないだけだ。
悲しいことに、そこに住む動物は自然だけど、人間はもう自然じゃない。
侵入者であり、介入者であり、改変者だ。
やっぱり、人間いつかは死ぬのに、最低限の不便がない生活の中にいながら、なるかどうかも分からない病気にびくびく怯えて、否定しかできないのは、建設的じゃない。と、結局、ここに落ち着く。