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日本で一番影響力のない、三日坊主の危険を含んだ日記
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死んだ生徒より、生きてる我が子の方が可愛いなんて当たり前の理論だと思うけど。

死んだ子を蔑ろにしているわけではなくて、親なら、自分の子が一番可愛いはずでしょ?
もし学校が無くなったりなんだりで転校していじめにあったら責任取ってくれるの?
誰も取らないでしょ?テンプレの様にいじめはよくない、いじめをした学校最低って言うだけでしょ?
だから、在校生と保護者が文句を言うのは、他校へ移るリスクも高すぎるからじゃないの?

綺麗事でも、生きてる生徒たちをどうしてあげたらいいのかも考えないと。
自殺者が出たのだから、在校生は傷ついて当たり前だろって、そういう姿勢でいいの?
死者を悼む姿勢は大事だけど、これからも生きていく子達の痛みは無視でいいの?

入試中止の批判を、頭おかしいとか言っちゃうほうが、どうかしてるよ。
もう少し言い方あったでしょ?



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今時話題の桜宮高校の入試問題。
入試を中止することに対して是非を言うつもりはない。
ただ、入試を中止するにせよ何にせよ、傷ついた子供がいる事は確かで、入試の中止や学科停止によって尚更傷ついた子供が生まれたことも確かである。
そういった子供が存在している以上、今回の対策は良いものではないと言っているようなものだし、その点を部外者がどうこういった所で結論が変わるわけでもない。

言いたいのは、たった1回高校に説明に行っただけで済ますなということ。
入試を中止にすることや、折角築いた教員との信頼関係を壊すことも、生徒にとっては心に深くシコリを残すことであるという事実が蔑ろにされている感がどうしても否めないのだ。
納得してくれなくてもいい。許されなくてもいい。ただ、橋下市長はこの学校に残っている生徒たちに「やり方は許容できないが、自分たちの事を考えてくれている大人」として認識されるだけの努力をする必要があると思うのだ。
桜宮高校に入らなかったら死ぬリスクが減る的なことを言ったようだが、正直、どこへ行ったって死ぬ時は死ぬのだから、全然それは理由にならない。
やるために掲げた条件が、権力をかさにきた横暴の何者でもないし、そう言った方法で止めさせようとする手段はどうしたって胸糞悪い。

こういった時こそ、正攻法で、正論で、綺麗事で、真正面からぶつかって、中止したいなら中止する宣言をしなければいけなかったのではないのか。
例え、青臭くても、成功しなくても、中止しないなら金出さないなどという汚いやり方で押し通すようなことでは決してない。
これでは、金で何でも解決できる、金で世の中動かせる、金さえあれば他人などどうでもいいという大人が在校生から生まれても仕方がないことになる。
この問題の相手は大人ではなく子供だ。
体罰をした教員、それを容認した教職員・教育委員会。それが相手と見せかけて、完全に市長対生徒なのだ。
教員は総入れ替えすると言ったとおり、別の学校へ赴任するなりすればいいだろう。それは大人がやるべきことだ。
けれど、そこに残った生徒はどうなる?今更別の高校へ転校するのか?そんなことできないだろう?
残る生徒たちの事を本当に考えるというのなら、自分達の事を考えてくれている姿勢をどれだけ見せられるか、伝えられるか、その一点に尽きるのではないか。
大人が自分たちの事を気にかけ、心配し、考えてくれるということが分かれば、入試の中止だって受け入れられるのではないか。
生徒が怒っていたり、悲しんでいたりするのは、入試が中止になることではなく、自分達の事を全く考えてくれていないと感じてしまったからに他ならないのではないか。

市長の仕事が忙しいで済ましていいものではない。
お昼の時間30分いや10分だけでも、電話から校内放送をするだけでも違うのではないか。
飽きたとか、もういいとか言われるくらい、生徒に言い続けるべきではないのか。

入試の中止は置き換えでしかない。
強行すると言うのなら、市長自身が会見ではなく在校生に直接説明し続けること。
必要なのは、きっとそれだけなのだろう。


きっと、いや、もうあったかもしれないが、近々こんなニュースがあるんじゃなかろうか。

老々介護状態の親子が、子のパート収入だけでは親の医療費までまかなうことができなかったため、生活保護の申請を行ったが、子にパート収入があるため受理されず、結果、親はまともな治療を受けられず死亡。もしくは、親子共に餓死。

まぁ、良くある話でした。




このところお騒がせの、河本母・生活保護受給だが、正直当方も片山さつきがわざわざ言うべきことではないと思う。
受給開始時期に所得などを嘘をついて受給が開始されたのならば、それは本当に不正受給だろうが、開始時期に本当に生活困窮者だったのだから、不正でもなんでもない。

この問題を提起することで、不正受給や、生活保護費と年金の逆転を是正したいと言っているものの「河本が不正受給してた」ばかりが一人歩きして、そこばかりに目が行って、本当にしなければならないことに気がついている人ってどれだけもいないんだろうと思う。

河本をスケープゴートに差し出して、話題として下火になってきた生活保護云々を表に出したかっただけのように見えてしまってしょうがないのだ。
河本の会見で生活保護に恥ずかしいと言ったことを、バカにしていると反応した人がいるが、恥ずかしいと思わせないから、生活できないから・病気だから、と、大きな顔をさせ、税金で生きることを当たり前と思うような人を生んでしまうのだ。
間違った同情が受給者を思い上がらせている現状もあることを知るべきである。
そして、そもそも生活保護に感謝して生きている人は、問題にならなので、面に出てこないものである。

それに、河本姉がインタビューで答えた内容だって、逆ギレどころか全うに正論であって、このコメントに対して日本人ではないと言っていた人がいるが、非常に日本人の思考回路であると思う。
その人は自分や日本人をどれだけ美化しているか分からないが(もしくは日本に住んでる外国人かもしれない)、トップダウン型の思考回路が浸透している日本人にとって「役所がOKなんだからOK」という言葉が出るのは至極当たり前なのだ。

言っている意味が分からないという人もいるだろう。
要するに、強いもの偉いものに巻かれる性質であるということ。
○○さんがそう言うからとか、皆がそう言ってたから、とか、そういう言葉を使ったことがないだろうか。
結局あなたの意見は何?と言う事を思ったり、そういう状況になったりしたことはないだろうか。
日本人は回りにあわせるという性質を多分に持ち合わせてしまったせいで、思いやりがあるとか気が利くとか言われてしまっているが、結局のところ、出る杭は打たれるなどという言葉があるとおり、他人の意見によって自分を決め、枠から出ないのである。
今回はこの枠が役所がOKしたということ、ということだっただけの話だ。
それに、確かにこの姉にも扶養義務はあるだろうが、嫁に行った娘が旦那の了解なしに母を扶養できるかといえばNOであるし、病人を一人抱えることによる経済的負担は一般のサラリーマンで就学中の子供がいた場合、ものすごく厳しいものである。扶養者が増えるということは、自分にそれだけの余裕が必要なのだ。
それも分からず姉が扶養していれば良かったのでは?と言う人は、独り身で自分で稼いだ金は全部自分のものとして生きている人か、生活に余裕がある人か、誰かの扶養になっている人だろうと思う。

これでもし、受給停止してくれと言っていたと過程して、役所が思うのは、一人分負担が減るということではなく、新しく受給停止の書類書くのめんどいなぁだろうと思う。毎年同じだったら、去年のものを日付かえるだけで終わったものが、新しくやらなければならない仕事が増える。
それくらいだったら、まぁいいですと受給してしまったほうが楽、ということだってある。
それに、一度停止して、今度また本当に生活が困窮してしまった時、再申請は非常に通りにくいため、その書類を通す負担が増えるのも勘弁というのが今の役所であろうとも思う。

この問題で誰も彼もが「河本悪」になってしまっているが、そういう人は、(愉快犯を除いて)本当の問題を見る目が全くないといっていいと思う。
これこそまさに、○○が言っていたから、という周りへの追従という日本人の特性に他ならない。
本当の問題は、この制度を作り上げた自民党自身であることと、官僚体質ではないのか。そこを全部棚上げして「河本不正受給で悪」の流れを作り上げた片山さつきの責任は重い。

ただ、当方は別に河本に肩入れをする気は全くないので、片山さつきが河本を使って、問題提起をしたことは上手くやったなと思う。
旬な人を持ち出すことで、日本中やネット中に問題を浸透させ考えさせる(例えそれが想定と道がずれたとしても)ことができたのだから。ただ、

1.河本母は、生活保護費で豪遊していたか?
2.河本母は、もしかしたら息子に迷惑はかけたくないと生活保護で生きることを選んではいないか?
3.河本母を、生活保護から年金に切り替え、年金と仕送りだけで治療費を賄う事ができるのか?

上記のことを踏まえ、現実の一般的受給状況はと言うと、

1.は、不正受給者は大概もらったその日にタバコや酒、趣味に金を費やす。
2.は、河本家に限らずよくある話。それに、支援してほしくても縁を切られていることも多い。
3.生活保護13万(医療費無料の場合あり)、国民年金満額6万(医療費後期高齢1割負担)の矛盾。

子供が高額収入者かどうかは問題ではない。親は子供に面倒をかけたくないと思う場合が多い。
そんな河本母の心情を全く持って無視した片山さつきには、表向きでなくとも、利用しましたと河本母に頭を下げるべきではないかと思う。

正直、これで一番かわいそうなのが、河本母であることに、なぜ誰も気がつかないのか不思議でならない。

震災瓦礫の受け入れで、各地で子供に影響が出るかもしれなという理由で反対をする親が沢山いる。
だが、本当に考えてほしい。
このまま瓦礫が処理されず、美しかった東北がいつまでたってもこのままの状況であることを子供に見せ続けることと、国民皆が協力しあって東北を元に戻そうとする努力を子供に見せること、どっちが精神的に尊く、子供に対して良い影響が与えられるかどうかを。

そう言うと、それとこれとは別と言う人がいる。何が別なのか説明してくれと思う。

東北は基に戻したい

じゃあ、瓦礫どうにかしないと。
瓦礫受け入れて?

やだ

東北基に戻したいんじゃないの?

戻したい

じゃあ(以下ループ)

だって、こういうことじゃない。
一般の人で誰かが負担しないとって口にする人ほど、それって自分の負担じゃなくて、自分じゃない誰かの負担なんだよね。

それに、福島の放射線が怖いだの不安だの言い続けることは、不の言葉であるのだから、良い言葉よりも子供に影響していることを理解したほうがいい。
そういうのに鈍感な人って、福島から非難した子供が、放射能菌が移るから寄るなっていじめられたこと知らないんだろうなと思う。
なぜそんないじめが起きると思う?ニュースで連日言ってるから?
違うよ。
親が、そうやって言ってるからだよ。
うちの子に限ってとか、そういう親は、自分の言動も見返せないし、子供のこと分かってないとしか言いようがない。
じゃあなんで、福島の放射線と、福島の子供が繋がるんだってなる。
福島の放射線=怖い。福島=怖い。怖い福島から来た子供。になるんだよ。

自分が子供だったとき、小学校や中学校で、○○菌がつくだとか、○○は汚いだとか、そういったいじめが本当になかったか思い出してみればいい。
今のように放射能だの放射線だの明確な対象がないにもかかわらず、ばい菌いじめは昔からある。それなのに、今の子供にそれをするなというのは、無理な話だ。

決めたら決めたで説明が不十分といい、決めきれないとリーダー力がないと言われる。
自分は今済んでいる地域に処理場が出来ると決まったとしても、特に反対はしない。

なぜなら、結局誰かがやらなければいけないし、キレイな東北を早く取り戻したいと思うからだ。
生き物なんぞ死ぬために生まれてくるようなもので、何をしようとも結局死ぬ人間の都合で、この先も残っていく自然が取り戻されないのは、我侭であり傲慢であろうと。

影響がないといわれている瓦礫を拒否し続け、東北がいまだに瓦礫の山であることが本当にいいのかどうか、子供を理由にせず、自分自身は本当にいいと思っているのかどうか、考えて欲しい。

 

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